
院長 坂上 光
◆ 夢だったパイロットを辞めた理由と走ることへの再挑戦
高校卒業後、小学生の頃からの夢だったパイロットになるため、航空自衛隊の航空学生に入隊しました。
しかし、走ることがどうしても嫌で、その夢を諦めてしまいました。
30歳になった私は、「走ることから逃げた自分」を変えたいと思い、マラソンを始めました。
初マラソンは、雨と風のなかで5時間48分かけて完走。
「もう二度と走るか!」と思ったはずが、なぜかそこからランニングにのめり込み、やがてトライアスロンにまで挑戦するようになりました。
こうして、思いがけない「学びの日々」が始まりました。
◆ 自分の痛みが患者さんの痛みへとつながった気付き
走る中で、自分の股関節に痛みがあることに気付きました。
最初は気にしていなかった右股関節の痛みは、徐々に強くなり、不安を覚えるようになりました。
その痛みをどうにかしたい一心で、自分の体を使い、原因と対処法を探る日々が始まりました。
そこで得た知識と経験が、そのまま患者さんの施術に役立つことに気付くまで、そう時間はかかりませんでした。
患者さんの話す痛みのニュアンスが、自分の経験と重なるからこそ、よく理解できます。
「どうすればよくなるのか」を自分自身で試してきた経験が、治療にそのまま活きています。
◆ 救える股関節がまだこんなにあると知った瞬間
多くの患者さんと向き合うなかで、私は確信を持つようになりました。
それは、「適切な施術とリハビリがあれば、救える股関節はまだたくさんある」ということです。
人間の身体は、思っている以上に強くできています。
けれど、患者さんへの配慮のあまり、世の中のリハビリや施術は優しすぎることもあります。
強度が足りず、症状が長引くケースも少なくありません。
一人ひとりの背景や身体の状態に応じた、オーダーメイドの治療が必要です。
その“見極め”こそがプロの仕事であり、私の使命だと考えています。
その精度を高めるために、今でも自分の身体を使って、トライアンドエラーを繰り返しながら研鑽を積んでいます。
◆ 弱さと向き合ったとき人生が大きく変わった
航空学生を辞めたことへの後悔は、長いあいだ私の心に残っていました。
当時のことを悪夢に見ることもありました。
しかし30歳で走り出してから、不思議とその夢を見なくなりました。
走ることが苦手だったのではなく、克服方法を知らなかっただけ』
この気付きは私を大きく成長させ、運動だけでなく、人生全体の捉え方までも変えてくれました。
◆ 空への憧れと地に足のついた今の夢を重ねながら
今でも、小学生の頃の夢だったパイロットの資格を取りたいという気持ちは残っています。
セスナでもいいから、アメリカでライセンスを取ってみたい、そんな夢もあります。
とはいえ、それはまだ遠い未来の話。
今は、目の前の患者さんと向き合い、日々を大切に過ごしながら、“動ける喜び”を一緒に感じられる整骨院でありたいと願っています。

院長 坂上 光
◆ 夢だったパイロットを辞めた理由と走ることへの再挑戦
高校卒業後、小学生の頃からの夢だったパイロットになるため、航空自衛隊の航空学生に入隊しました。
しかし、走ることがどうしても嫌で、その夢を諦めてしまいました。
30歳になった私は、「走ることから逃げた自分」を変えたいと思い、マラソンを始めました。
初マラソンは、雨と風のなかで5時間48分かけて完走。
「もう二度と走るか!」と思ったはずが、なぜかそこからランニングにのめり込み、やがてトライアスロンにまで挑戦するようになりました。
こうして、思いがけない「学びの日々」が始まりました。
◆ 自分の痛みが患者さんの痛みへとつながった気付き
走る中で、自分の股関節に痛みがあることに気付きました。
最初は気にしていなかった右股関節の痛みは、徐々に強くなり、不安を覚えるようになりました。
その痛みをどうにかしたい一心で、自分の体を使い、原因と対処法を探る日々が始まりました。
そこで得た知識と経験が、そのまま患者さんの施術に役立つことに気付くまで、そう時間はかかりませんでした。
患者さんの話す痛みのニュアンスが、自分の経験と重なるからこそ、よく理解できます。
「どうすればよくなるのか」を自分自身で試してきた経験が、治療にそのまま活きています。
◆ 救える股関節がまだこんなにあると知った瞬間
多くの患者さんと向き合うなかで、私は確信を持つようになりました。
それは、「適切な施術とリハビリがあれば、救える股関節はまだたくさんある」ということです。
人間の身体は、思っている以上に強くできています。
けれど、患者さんへの配慮のあまり、世の中のリハビリや施術は優しすぎることもあります。
強度が足りず、症状が長引くケースも少なくありません。
一人ひとりの背景や身体の状態に応じた、オーダーメイドの治療が必要です。
その“見極め”こそがプロの仕事であり、私の使命だと考えています。
その精度を高めるために、今でも自分の身体を使って、トライアンドエラーを繰り返しながら研鑽を積んでいます。
◆ 弱さと向き合ったとき人生が大きく変わった
航空学生を辞めたことへの後悔は、長いあいだ私の心に残っていました。
当時のことを悪夢に見ることもありました。
しかし30歳で走り出してから、不思議とその夢を見なくなりました。
走ることが苦手だったのではなく、克服方法を知らなかっただけ』
この気付きは私を大きく成長させ、運動だけでなく、人生全体の捉え方までも変えてくれました。
◆ 空への憧れと地に足のついた今の夢を重ねながら
今でも、小学生の頃の夢だったパイロットの資格を取りたいという気持ちは残っています。
セスナでもいいから、アメリカでライセンスを取ってみたい、そんな夢もあります。
とはいえ、それはまだ遠い未来の話。
今は、目の前の患者さんと向き合い、日々を大切に過ごしながら、“動ける喜び”を一緒に感じられる整骨院でありたいと願っています。