
院長 坂上 光
中学まで鹿児島にて育ち、熊本マリスト高校卒業後、航空自衛隊の航空学生に入隊しました。当時のぼくは走ることが苦手で、夢だったパイロットの道を諦めてしまいました。
それから名古屋の専門学校に通い、柔道整復師の資格を取りました。2011年に鹿児島市の小川町で開業し、2019年に冷水町に移転し今に至ります。
30歳になったとき、「走ることから逃げた自分を変えたい」と思いマラソンを始めました。初マラソンは風雨の中、5時間48分かけての完走(完歩?)でした。「もう二度と走るか」と思ったはずが、そこからランニングにのめり込み、やがてトライアスロンに挑戦するまでになりました。
走り続けるうちに、自分の右股関節に痛みがあることに気付きました。徐々に強くなるその痛みをどうにかしたい一心で、自分の身体を使いながら原因と治療法を探る日々が始まりました。ランニングにのめり込めばのめり込むほど、股関節以外の怪我も数多くしてきました。
その過程で得ている知識と経験が、そのまま患者さんの施術に活きることに気付きました。患者さんが話す痛みのニュアンスが、自分の経験と重なるからこそよく理解できます。「どうすれば良くなるのか」を自分自身で試し続けてきたことが、今の治療の土台になっています。
また、マラソン大会では落武者姿で走っています。
きっかけは2016年の熊本地震でした。熊本への想いから、「自分にしか出来ない形で誰かを笑顔にしたい」と考え、落武者で走りました。
最初は恥ずかしくて、人目を避けるように走っていました。
しかし沿道では、子どもからお年寄りまで、本当にたくさんの人が笑ってくれました。その光景を見た時、「落武者で走ることは、人を元気にする力がある」と強く感じました。それから日本だけでなく世界中のマラソン大会を落武者の姿で走っています。
「自分にしかできないことはなんなのか。」これは仕事だけでなく、自分の人生において大事にしている考えです。そして、考えるだけでなく、実行することの方が大事です。「思い立ったが吉日、即行動」これを自分の信条として、これからもトライアンドエラーを繰り返して走り続けようと思います。
院長 坂上 光
中学まで鹿児島にて育ち、熊本マリスト高校卒業後、航空自衛隊の航空学生に入隊しました。当時のぼくは走ることが苦手で、夢だったパイロットの道を諦めてしまいました。
それから名古屋の専門学校に通い、柔道整復師の資格を取りました。2011年に鹿児島市の小川町で開業し、2019年に冷水町に移転し今に至ります。
30歳になったとき、「走ることから逃げた自分を変えたい」と思いマラソンを始めました。初マラソンは風雨の中、5時間48分かけての完走(完歩?)でした。「もう二度と走るか」と思ったはずが、そこからランニングにのめり込み、やがてトライアスロンに挑戦するまでになりました。
走り続けるうちに、自分の右股関節に痛みがあることに気付きました。徐々に強くなるその痛みをどうにかしたい一心で、自分の身体を使いながら原因と治療法を探る日々が始まりました。ランニングにのめり込めばのめり込むほど、股関節以外の怪我も数多くしてきました。
その過程で得ている知識と経験が、そのまま患者さんの施術に活きることに気付きました。患者さんが話す痛みのニュアンスが、自分の経験と重なるからこそよく理解できます。「どうすれば良くなるのか」を自分自身で試し続けてきたことが、今の治療の土台になっています。
また、マラソン大会では落武者姿で走っています。
きっかけは2016年の熊本地震でした。熊本への想いから、「自分にしか出来ない形で誰かを笑顔にしたい」と考え、落武者で走りました。
最初は恥ずかしくて、人目を避けるように走っていました。
しかし沿道では、子どもからお年寄りまで、本当にたくさんの人が笑ってくれました。その光景を見た時、「落武者で走ることは、人を元気にする力がある」と強く感じました。それから日本だけでなく世界中のマラソン大会を落武者の姿で走っています。
「自分にしかできないことはなんなのか。」これは仕事だけでなく、自分の人生において大事にしている考えです。そして、考えるだけでなく、実行することの方が大事です。「思い立ったが吉日、即行動」これを自分の信条として、これからもトライアンドエラーを繰り返して走り続けようと思います。
